ついに4月8日退院の日となった。前年10月26日の絶望の日から約半年。長かったのか短かったのか今でもわからない。
私はただ毎日、今できる目の前の事をこなしていくのに精一杯だった。
夫はただ、ひたむきにコツコツと自分を信じて歩んできた。
子供たちは不安をひた隠し黙々と日々を過ごし私たちについてきてくれた。
辛かった…。でも多分これからも辛いに違いない。
退院は手放しで喜べるようなものではなかった。
それでも、寝たきりで首から下が動かなかった夫が今こうして杖を突きながらも歩いている。
みんなから祝福の言葉をかけてもらい、夫の家族や私の家族から花束や杖の贈り物など沢山頂いた。
クヨクヨしている場合じゃない、周りのみんなもこんなに喜んで励ましていてくれる。
夫の入院中にもいつも自分を奮い立たせた、前を向いていこうと。
家での生活が始まると、日常生活は概ね出来ると思われていたが、「あとチョット」が出来ない場面にたくさん遭遇することになる。
・シャツを着るときに首と腕まで通せるのにまくりあがったシャツを下に下ろすことが出来ない。逆に脱ぐときは首を抜くことが難しく着るときよりも手伝いがいった。
・Yシャツなどの小さなボタンがあるものは手先の自由が利かないため、特に一番上のボタンと袖のボタンは留めることが出来ない。
・ズボンは座って履くことは可能だが、スウェットスーツのズボンなど先細りになって力がいるものは手伝いがいる。
・食事は箸ぞうくんという補助箸で摂れるが、ステーキをナイフとフォークで食べるのは難しく予め切ってから提供する。
・腕が90度程しか上がらないため、高いところの物は届かない。
・風呂は腕が上がらないのと、握力が弱いため洗髪や背中を洗う手伝いがいる。
・夜ベッドから起きるときに布団がかかっていると起きれないため少し背中をおして手伝う。
・重いものが持てず、持てても3kgくらいまで。
他にも細々としたネクタイとか靴ひも結びとか「あとチョット」が出来ないことが沢山見つかった
本人はさぞかし歯がゆい気持ちでいることだろう。
いちいち手伝うのは最初の頃は面倒で、そう感じる自分は心無い人間だと思うこともあった。
が、今ではそうする事にも随分慣れ夫のことも「あと少しが出来ない男」と呼び二人で笑いあっている。
一番困ったのは後遺症の疼痛だった。
こればかりは家族もどうにも出来ない。様々な薬を日に何十錠も飲んでいても疼痛は抑えられない。
特に腕の痛みが酷く、夫はそれをアスファルトの上で引きずられた擦過傷のような痛みとか、腕全体を火傷したような痛みと表現していてそんな日は一日ベッドで寝て過ごしていた。
夜も眠れず睡眠薬を服用する。
退院して週に3回リハビリ通院はしていたが、入院中のように午前、午後とリハビリを受けていた時と違い、気を紛らすことも出来ず筋力も徐々に低下し、少し筋のこわばりの症状も出だした。
それでもどうにもすることは出来ない。私は痛いというのを黙って聞くだけだ。
インターネットで調べるとこの痛みに苦しむ人は多く、灼熱痛なんて呼び方をされているようだ。
夫の場合、痛みの強弱は日によって違うようだが、痛みのない日はなく忘れられるのは眠っている時だけらしい。
だから、痛みの少ない日は外出したり二人で外食を楽しむようになった。
どちらかと言うと倦怠期であった夫婦が以前よりも会話が増え一緒に過ごすことが増えたのは唯一良かったことかも知れない。
~入院から退院まで~(退院)